前漢、後漢、三国時代の中国の人口の推移

秦、前漢、後漢、魏、呉、蜀、晋と中国では国が生まれてはどこかが統一し、そして滅亡し、そのたびに世は乱れました。その世の中の乱れによって果たして人口はどう変化していったのか、ここでは古代中国の人口に注目してみたいと思います。



前漢時代の人口

劉邦によって中国が統一され漢が生まれたのが紀元前206年です。それから208年たった西暦2年の漢の人口は『漢書』「地理志」によれば5959万余人だそうです。戸数は1223万余戸となっています。これが前漢の全盛期であったと言われています。

後漢時代の人口

王莽による簒奪で前漢が滅亡したのが西暦8年、そして劉秀(光武帝)が漢を再興し後漢が誕生したのが西暦25年です。前漢滅亡から後漢誕生までの間、世の中は混乱し戦乱の世になっていました。これを最終的に治めたのが劉秀、光武帝と呼ばれる人物です。
そしてこの光武帝が死んだ西暦57年、中国の戸数は427万余、人口は2100万余となっています。人口5959万人だった西暦2年と比べるとたった55年で3分の1以下になってしまっているのです。
これは王莽末期の戦乱がこの国に大きなダメージを残したことを示しています。後漢を立てた光武帝は荒れた国の回復のため尽力しました。おそらく光武帝による統一直後(西暦25年)時点では人口はもっと少なかったはずです。

光武帝の死から89年後の西暦146年、この年の戸数は934万余、人口は4756万余と記録されています。

三国時代末期の人口

西暦280年、魏呉蜀による覇権争いが続いていた三国時代が終わりを迎えます。晋が中国を統一しました。三国の中で最後まで残ったのが呉です。呉の孫皓が晋に降伏した280年のときの呉の戸数は52万、人口は230万だったと言われています。すでに蜀を併合していた晋の人口は550万ほどです。つまり三国時代が終わったときの中国の人口は800万ほどだったということになります。

西暦2年時点での人口は5959万、王莽末期の戦乱により人口が減少し光武帝が死んだ西暦57年の人口が2100万、ここから人口が増え始め西暦146年時点で4756万人、そして三国時代が終わった西暦280年、三国の乱世により人口は800万まで減ってしまったのです。

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