秦の始皇帝が暗殺されそうになった3回の危機【キングダム・政】


秦の始皇帝といえば初めて中国を統一した人物としてあまりにも有名です。最近では春秋戦国時代を舞台とした漫画『キングダム』でも政(始皇帝)の中華統一の野望を軸としたストーリーが描かれています。

そんな始皇帝ですが、大国「秦」の王、そして6国を滅ぼし初めての皇帝となったその影響力から何度か命を狙われています。

ここでは始皇帝の暗殺未遂事件3つを紹介したいと思います。

荊軻の暗殺未遂

燕の太子であった丹という人物は人質として秦に送られました。丹は小さい頃、趙に人質としていた政(始皇帝)とよく遊び親しくしていましたが、大人になってから会った政は丹を見下し冷遇しました。

あるとき、丹は隙を見て秦を脱出し燕に帰りました。秦と政に対して恨みを抱いた丹は政に刺客を送ることを考えます。そこで田光という人物に相談したところ荊軻(けいか)という人物を紹介されました。

刺客の依頼を受けた荊軻は用心深い政に近づく策を考えました。それは燕の肥沃な土地である「督亢(とくごう)」を差し出し、更に政の怒りに触れ、一族を殺され燕に逃げてきた樊於期(はんおき)将軍の首を差し出すことで政に近づくというものでした。

太子丹は自分を頼って逃げてきた樊於期の首を差し出すことを拒否しますが、荊軻が樊於期に直接暗殺計画を伝えると樊於期は「私の首一つで家族の仇討ちと燕への恩返しができるのなら喜んでこの首を差し上げます」と言い自決しました。

そして荊軻は督亢の地図の中に短刀をしのばせ、更にその短刀には毒を塗りました。

暗殺の相棒として信頼できる人物を待っていた荊軻でしたが、太子丹に急かされ、秦舞陽という人物を連れ咸陽へ向け出発します。

荊軻の目論見通り、政は督亢と樊於期の首を喜びました。そして最高の礼をもって荊軻を迎え入れたのです。

政の近くまで来ると連れであった秦舞陽は恐怖で震えだしました。不審に思った群臣が尋ねると荊軻は「田舎者のため、天子さまにおそれおののいているのです」とごまかしました。

政の前にくるとまず樊於期の首を見せ、次に督亢の地図を渡しました。そしてその地図を開くとそこには短刀があり、その短刀を荊軻は持ち政を刺そうとしましたが、間一髪のところで政はそれをかわしました。

政は剣を抜こうとしますが、長刀であったためとっさに抜けませんでした。周りにいた兵士たちは許可がない限り武器を持って殿上には上がれないため助けるに助けられなかったのです。

短刀を持った荊軻は政を刺そうと追い回しますが政は柱を使って逃げ回りました。そのとき御典医であった夏無且(かむしょ)が薬箱を投げつけたところそれが荊軻に命中し、その隙に政は剣を抜き、荊軻を斬りつけました。荊軻は短刀を政に向かって投げましたがそれも外れ、政に斬り殺されたのです。

連れであった秦舞陽は終始震えているだけでした。

これに激怒した政は燕の総攻撃を仕掛けます。暗殺未遂の翌年には燕の首都・薊を陥落させ、暗殺の首謀者だった太子丹は講和材料として燕王の命令で殺されました。

左が逃げる政、右が襲いかかる荊軻。中央上は伏せている秦舞陽、中央下には樊於期の首が見える。

高漸離の暗殺未遂

高漸離(こうぜんり)は荊軻の友で、筑(打弦楽器)の名手でした。始皇帝は名手と聞き高漸離を召し出しました。しかしこの高漸離が荊軻の友であるということを知っていた者がおり始皇帝にそのことを告げたのです。

殺すには惜しい名手であったので、処刑はせず目を潰しました。こうして高漸離は再び始皇帝のそばで筑を弾くことになりました。

しかし、始皇帝の命を狙っていた高漸離はある日、筑の中に鉛を入れ、始皇帝に向かって投げつけましたが、目が見えなかったため始皇帝に当たることはありませんでした。そして高漸離は処刑されたのです。

張良の暗殺未遂

張良の家は韓で五代にわたって宰相をつとめた名門でした。しかし秦によって韓は滅ぼされました。張良はそのとき若かったため助かりましたが、祖国を滅ぼされた恨みから復讐を誓い、全財産を復讐の資金としました。

その資金で怪力の勇士を雇い、刺客として養成したのです。張良の作戦は始皇帝が巡幸にきたときを狙い、30kgほどの鉄槌を投げつけ、始皇帝が乗っている車ごと潰すというものでした。

しかし、投げられた鉄槌は始皇帝が乗っていない別の馬車に当たってしまい作戦は失敗、張良たちは逃走しました。始皇帝は怒り捕らえようとしましたが、張良は逃げ延びました。

その後、張良は漢帝国を築いた劉邦のもとで秦打倒のため活躍します。

コメント

  1. 初めまして。

    これだけのことを成し遂げた人物なので、小さいのも含めれば実際はもっとあったかもしれませんね。

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